2010年6月22日火曜日

伝説の熱海会議 

「伝説の熱海会議」
 
 松下幸之助が会長となり、第一線を退いた1964年(昭和39年)
家電製品の需要不振と競争激化によって松下電器の販売組織が危機的状態になった。

 松下本社はそのころ、全国の販売会社、代理店に対して、
およそ1,000億円にのぼる債権を抱えていた。
それが支払われないと、松下電器も危うくなる。
 
 幸之助は危機を鋭敏に察知し、迅速に動いた。
7月9日の夕方から、熱海のホテルで「全国販売会社・代理店社長懇談会」をひらいた。
のちに「熱海会議」と呼ばれる会議は、翌日の10日の朝からはじまった。

 幸之助は挨拶の冒頭で、今日の会は人前で言えないことを
洗いざらいうちあける秘密会にすると言った。

「だから損している人はどれくらい損しているか、すっかり言ってください。
松下への批判、苦情は全部言って下さい。そしておおむねひとつの方向、
結論が出るまで3日かかろうと4日かかろうとやりましょう!」

午前中、幸之助は語りつづけ、午後1時から懇談をはじめた。

「松下の商品は品質が悪い」
 
自社製品の構造、性能を知りつくしている幸之助は、はげしく問いかける。

「どの商品が悪いのですか」
  
 洗濯機の故障が多いというと、何という商品のどの部品が悪いのかと聞く。
相手は答えられず、営業部長から聞いた。

 幸之助は叱咤した。

「何ちゅうことですか。あんたの会社がつぶれるかも知れんというときに
 そんな呑気なことでええんだっか。あんたの家もつぶれかけとるんですよ。」

 会議では販売店側は、会社の指導が不親切で、そのしわよせが弱い立場の我々に
来ていると言い、会社は販売店の経営方針に欠陥があると言い返す。

 結論が出ないまま7月11日も続行し、その正午に最終取りまとめをすることになった。
その日も販売店の苦情が沸騰した。

 残り時間が30分になったとき、幸之助は
「販売店を力づけるほかに、不況を逃れる道はない」と覚った。

 彼は壇上で深く頭を下げた。 
「よくよく考えたら、松下電器が悪かった。この一語に尽きる。
今日松下電器があるのは、ほんとうに皆さんのおかげだす。
これからは安定した経営をやっていただけるよう、ここにお約束する。」

 幸之助は涙を流し、出席者のほとんどがハンカチを目にあてていた。
彼らは互いに励ましあった。

 幸之助はその後、営業本部長代行に就き、抜本的な販売制度改革を打ち出した。

 新制度開始後約1年半の1966年11月期決算で、
 松下電器産業は創業以来最高の数字を記録した。

 幸之助は「経営の神様」と呼ばれるようになった。

 引用:日経新聞「ニッポンの企業家」津本陽氏

---------- 

 言えない問題を言う会議。
そう簡単にできるものではないですよね。
タブーを破らねばならない瞬間、今までにない緊張感が走ります。

 しかし、ピンチをチャンスに変えるには、
短期間で劇的に会社を変えるには、避けて通れない道かもしれません。

 皆さんは「すごい会議」体験したことがありますか?

「すごい会議」著者:大橋禅太郎 も参考になると思います。

 MS委員会 村瀬旨博

1 件のコメント:

  1. 熱海会議の話は塾で聞きました。
    自分なりには、よい会議ができるよう努めていますが・・
    伝説になるようなスゴイ会議は・・やりたくない気もします。

    返信削除